「動くわたし、動かないわたしー移動とまちづくりー」あなたは20年後の今日、どんな場所で何をしてる?

REPORT

開かれた場が野外にあるからこそ生まれる「予定不調和」な交流

宮平:ぼくからは、むずかしい話はしないでいこうと思います笑

皆さんはいま、暮らしていて「生きてる!」って実感がありますか?日々の生活で生きていると思うときは、ひとそれぞれ。コミュニティがたくさんある、いろんなひとから刺激をもらっているとか、無機質的な生活のなかで生きているなかでもきっとそういう実感って人それぞれあると思う。

どっちの気持ちも今の自分のなかにはあるなと思っていて、ではなぜぼくがキャンプをしているのか。別に「キャンプ」をしているという感覚はなくて、あくまでもキャンプは場所という感覚なんです。そこに訪れるひとや、なにをするかによって雰囲気が変わってきて、過ごせる時間や得られる体験がまったく違うから。

たとえば、イベントがあるからそこでキャンプをしてイベント楽しむときもあれば、違うコミュニティのひとや、料理好きなひとたちを呼んで、星空をみながらおいしい料理を食べることも。逆もしかりで、料理を失敗したり、突然の雨に遭遇したり。でも、それはそれで五感を使って生きている感覚があって。もちろん自然による喜びもあるんですけれど、それだけじゃなくて、どちらかというとひととひととの交流からくる喜びを自分はキャンプを通して感じています。

あと、野外でキャンプしていると、そこに住んでいるひとが気軽に訪ねてくるんですよね。以前、読谷村でキャンプしていたとき、そこに住んでいるひとたちがワイン片手に「みんな、なにしてるんだい?」っておじさんが乗り込んできたがあった。どうしたのって聞いたら、昼間は奥さんと子どもたちを連れて好きに遊んでいたけど、夜は家で寝たいといって置いていかれて。ふたりでしっぽり飲んでいたけど、こっちが面白そうだったからきたと。笑

キャンプをしてる理由はなんか生きてるって実感できるっていうのが僕のなかで大きくて、テーマであるまちづくりに話を戻すと、キャンプのように「生きてる!と実感できる」まちに住みたいなって思っています。暮らしやすいとか、なにかが手に入るではなく、予定不調和が良い意味で起きる、コミュニティのひとたちと地域のひとたちが自然に発生するような・・・。

でも、都会であればあるほどそういう場所はすごい少なくて。とくに、日本の公園はイケてない笑 「あれはだめ」「これをやっちゃだめ」と禁止が多いので。でも、まちのなかに、みんなで管理できる中央広場のような場所があれば、動くひとたちも、そこに根付いてるひとたちも交流できますよね。

たとえば最近の沖縄だと、オキナワマルクトというマルシェ形式のイベントで野外に1つの空間ができていて、ひとびとがそこで交流している。たまたま、そこにきていたひとも来ていたり、それは、外でやってるから、なにが行われてるかがわかるからこそ起きる交流。

だから、まちのなかには広場があって、昼間はオキナワマルクトみたいに出店が集まって、みんなが弁当買うでもいいし、ピクニックしてもいい。夜は夜で、屋台とかバーが集まってきてみんなで飲む、みたいな。

そういう壁のない交流が生まれてくる仮設空間って、ぼくのなかですごい魅力だと思っていて、だから、個人的にはキャンプ場みたいな開かれた場所がまちには必要だと思っています。笑

>>ページ5石垣綾音「その土地の公共をよそ者が「享受する」ということ」

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