「動くわたし、動かないわたしー移動とまちづくりー」あなたは20年後の今日、どんな場所で何をしてる?

REPORT

「開かれた公共」をさがして

野入:去年の11月、石垣さんと二人で旅行をしていて、たまたま熊本の美術館で展示されていた村上さんの「家」を見たんです。

展示室の前に動画があって、家がとことこ歩いているのを車中から撮った映像が流れて、石垣さんと二人で、指さして、あほだー!って笑ったんです。でも室内で「家」を見て、瓦の一枚一枚まで本気で作りこんである作品を見て、ウケ狙いとかじゃなくて切実さのあるアートだということがわかりました。 


彼のいう閉じた生活、定住を、村上さんは否定はしない。でもそれがひとつのバージョンに過ぎないことを、自分が家をもって移動することで示す。だから家に車輪をつけたりせず、じっと建っているはずの家を持って歩く、敷地と家が分離可能だということをやって見せる、寝室だけ持ち歩いて、台所とトイレとお風呂と茶の間はまちに依存するんですね。勝手に路上や公園に置いたら違法なので、毎晩、置かせてもらっていいですかって、お寺とか道の駅とかお店とかで敷地交渉をして。

村上さんが移動していくと、そのまちの、エリアの公共性のありどころが、この不思議な「家」に来られることで明るみに出てしまう。「公共の場所だからダメです。セキュリティの問題があるから」って言われたり、「公共の空間だから基本は自由に使えます」って言われたり。その人と公共の距離。アウェーさが露呈する。

私はこのアートを使って、社会学の授業でグループワークをしてみました。公共性をテーマにした授業で、学生たちに問いかけました。

Q1.もし、道の向こうから家を背負った人が近づいてきたら、どうしますか?
Q2.もし、発泡スチロールの家を見せて、誰かがあなたに敷地交渉をしたら、どうしますか?
Q3.自分の家や職場が無理だったら、どこへ家を置かせてあげることを思いつきますか?→これは、そこで思いつく場所のイメージがその学生にとっての公共性の所在を示すんですね。
そして最後に、あなたにとって「公共」とはなんですか?

最後の問いへの学生の答えに登場したキーワードは「迷惑」。
あるいは、その対極に、とってつけたように「住民参加」。

なんか「迷惑」と「住民参加」の間に、ないの?「禁止」「ルール」のトップダウン型管理じゃなくて、インタラクション、お互いにやりとりして、工夫して、ボトムアップ型の公共性のデザイン、できないの?と思ったときに、いろいろな形のありようをシェアしていくことが大事だなと思いました。これから未来さんとともつぐさんが話してくれる、動き方、住まい方、あり方の提案は、きっと「迷惑」と「住民参加」の間を豊かに埋めていくことにつながっていくと思っています。

(文中登場する村上慧さんについて、参考URL▶http://ours-magazine.jp/borrowers/murakami-01/

 

村上慧『家をせおって歩いた」夕書房、2017。

>>ページ3久高友嗣「ひとと場がお互いに作用し合いながら「動ける」をつくっていくトレンド」

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